~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~
~子ども時代・ママとして・
妻として乗り越えた困難~
私の一番幼い頃の記憶はおそらく3歳頃。夜中に私は布団の上で激しく泣いている
目の前で起こっている状況があまりに怖くてパニックだった
顔を真っ赤にさせ、般若のように怒り狂った父と、当時10歳くらいの長女が激しく取っ組み合いをしていて、父親が姉に馬乗りになっている
私にはもう1人の5歳離れた姉がいて、次女は長女と一緒に戦ったり、泣いている私をあやしにきたりと往復していた
どう終息をしたのかは覚えておらず、私にとっては衝撃的なこの瞬間だけが記憶に残っている
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うちの父は、お酒を飲んで溺れては、夜な夜な暴れる人だった
その時 母は何をしているかというと、働かない父に変わって夜のお仕事へ行き、生活費を稼いでいた
私が物心ついた時には、父はタクシー運転手の仕事をしていたが、酒に溺れては仕事を無断欠勤し、クビになって部屋に引きこもっては、朝から晩まで〈酒・タバコ・ゲーム・マンガ〉漬けの日々を送っていた
気に入らない事があると、母が仕事に出かけ3人の娘が寝静まった夜中に、ベロベロに酔っ払った状態で子ども達を起こしグダを巻き始め、それからヒートアップし、父が暴れるというのが我が家のパターンだった
少し時が経つと、父は別のタクシー会社に就職をし、また無断欠勤をしてはクビ→酒に溺れる→暴れる、というのが繰り返されていた
父が定刻に出勤しないと、会社から自宅の固定電話に連絡がきて、代わるよう促されても、泥酔し眠った父を起こすのは困難だった
電話先の大人の人と、寝ている父の板挟みに合い、子どもの私はどうしていいのか分からなかった
毎朝鳴り響く電話の音が 私には恐怖だった。当時の黒電話はボリューム調整をする事ができず、電話の上に毛布をかけ、出来るだけ響かないように、鳴り止むまで耐え続けた
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子どもの生きている世界はあまりに小さくて、自分の置かれている環境が『あたりまえ』で、情報が少なかった昭和時代に、私の日常が『異常』だと気づくのはだいぶ先の事である
テレビの中の世界「ちびまるこちゃん」や「サザエさん」のような温かい家庭に憧れて大人になるも、「普通の家庭」を築くことが いかに〈特別〉で〈困難〉な事であるかと世の中の厳しさを知る
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いわゆる『貧困家庭』で育った私は、その成長過程であらゆる困難とぶつかり、その経験を踏まえて『第三の居場所づくり』が始まった
あの時欲しかった『言葉』や『支援』を一つず拾い集めていく
私の活動は始まったばかり
私の半生を綴りますので、興味をもって読んでいただけると嬉しいです
では次回は〈4歳の頃〉
「夜のお仕事に行く母と、泣く私」
のことをつづります
またみてね!