私が『子どもの居場所』を作る理由 #12

~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~

~子ども時代・ママとして・
     妻として乗り越えた困難~

■小学5年生の頃②
[父に家を閉め出される]

私の父は仕事にも行かず、朝から晩まで酒を飲み、気に入らない事があると酔って暴れる人だった

基本 母がなだめていたが、収拾つかない時は、外に逃げる事もあれば、追い出される日もあった

母と出掛け帰ってきたら、家中のカギを閉められており、カギを使って入られないようにと、鍵穴にガムを詰められていた時は衝撃だった

身ひとつで突然 家を閉め出される

父が籠城し、家に入れないときは、家族で身を寄せる場所があった

同じアパートの空き部屋である

私たちが住んでいた全9部屋の古いアパートは、父方の祖父名義だったので、母は管理を任されていた。なので空き部屋のカギを持っていたのだ

母はいつも 空き部屋のカギを隠し持っていたので、家から閉め出されると私たちはそこへ逃げ込んだ

父にバレないように、足音を立てず、夜はトイレを流す音さえ止め、息を潜めて何日も過ごした

空き部屋のため、カーテンも布団もなかったので、ふすまを窓に立てかけて外から見えないようにし、畳でざこ寝する

避難生活も慣れていたので、苦ではなかった。むしろ父の脅威から離れられるので、気持ちは穏やかだったのかもしれない

母方のきょうだいが、毛布や食べ物などを届けてくれたのも嬉しかった

何度も繰り返した避難生活は、成長と共に姉2人の存在はなくなっていった。友達の家に泊まるようになっていたらしい。母と2人の避難生活もあった

何もない空間で不自由だったけど、自宅にいる時よりも母が私の方を向いてくれる事が『家族』感があって嬉しかったのを覚えている

避難生活の収束は、恐らく自宅にある酒やタバコが尽きて、父の感情が落ち着く事であったのだろう

自分で買いに行く事ができないので、父自らカギを開けて、母が家に入れるようにしていた

母は毎日、家に入れるタイミングを探り、カギが空いていたら自宅に入り、父の様子を伺って 大丈夫であれば、私たちも部屋に入る事ができた

久しぶりの自宅は 数日閉め切っていたので酒臭く、よどんだ空気が充満し、父への嫌悪感を象徴するような空間であった

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3人姉妹の末っ子だった私は、いつも泣いてばかりで 母や姉に守られてばかりだった

自分の無力さを痛感しつつ「私も早く家族の役に立ちたい」と強く願うようになっていく

自分の成長と共に知恵がつき

『なぜ母は父と離婚しないのだろう』

…と不思議に思うようになり、その疑問を姉に投げかけた

「この家はじいちゃんの家でしょ。2人が離婚したらこの家に住めなくなるんだよ。そしたら他の住む場所を探さなきゃならないし、家賃も必要になるから、今よりもっとびんぼうになるんだよ。住む家があるだけ、まだマシなんだよ」

…と私に分るように優しく教えてくれた

自分の置かれている環境を少しずつ理解し始めるが、それ以後もずっと

『離婚したらいいのに』

と願い続ける

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では次回は

■小学6年生の頃
[修学旅行の服がない]

のことをつづります

またみてね!