~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~
~子ども時代・ママとして・
妻として乗り越えた困難~
■小学5年生の頃②
[父に家を閉め出される]
私の父は仕事にも行かず、朝から晩まで酒を飲み、気に入らない事があると酔って暴れる人だった
基本 母がなだめていたが、収拾つかない時は、外に逃げる事もあれば、追い出される日もあった
母と出掛け帰ってきたら、家中のカギを閉められており、カギを使って入られないようにと、鍵穴にガムを詰められていた時は衝撃だった
身ひとつで突然 家を閉め出される
父が籠城し、家に入れないときは、家族で身を寄せる場所があった
同じアパートの空き部屋である
私たちが住んでいた全9部屋の古いアパートは、父方の祖父名義だったので、母は管理を任されていた。なので空き部屋のカギを持っていたのだ
母はいつも 空き部屋のカギを隠し持っていたので、家から閉め出されると私たちはそこへ逃げ込んだ
父にバレないように、足音を立てず、夜はトイレを流す音さえ止め、息を潜めて何日も過ごした
空き部屋のため、カーテンも布団もなかったので、ふすまを窓に立てかけて外から見えないようにし、畳でざこ寝する
避難生活も慣れていたので、苦ではなかった。むしろ父の脅威から離れられるので、気持ちは穏やかだったのかもしれない
母方のきょうだいが、毛布や食べ物などを届けてくれたのも嬉しかった
何度も繰り返した避難生活は、成長と共に姉2人の存在はなくなっていった。友達の家に泊まるようになっていたらしい。母と2人の避難生活もあった
何もない空間で不自由だったけど、自宅にいる時よりも母が私の方を向いてくれる事が『家族』感があって嬉しかったのを覚えている
避難生活の収束は、恐らく自宅にある酒やタバコが尽きて、父の感情が落ち着く事であったのだろう
自分で買いに行く事ができないので、父自らカギを開けて、母が家に入れるようにしていた
母は毎日、家に入れるタイミングを探り、カギが空いていたら自宅に入り、父の様子を伺って 大丈夫であれば、私たちも部屋に入る事ができた
久しぶりの自宅は 数日閉め切っていたので酒臭く、よどんだ空気が充満し、父への嫌悪感を象徴するような空間であった
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3人姉妹の末っ子だった私は、いつも泣いてばかりで 母や姉に守られてばかりだった
自分の無力さを痛感しつつ「私も早く家族の役に立ちたい」と強く願うようになっていく
自分の成長と共に知恵がつき
『なぜ母は父と離婚しないのだろう』
…と不思議に思うようになり、その疑問を姉に投げかけた
「この家はじいちゃんの家でしょ。2人が離婚したらこの家に住めなくなるんだよ。そしたら他の住む場所を探さなきゃならないし、家賃も必要になるから、今よりもっとびんぼうになるんだよ。住む家があるだけ、まだマシなんだよ」
…と私に分るように優しく教えてくれた
自分の置かれている環境を少しずつ理解し始めるが、それ以後もずっと
『離婚したらいいのに』
と願い続ける
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では次回は
■小学6年生の頃
[修学旅行の服がない]
のことをつづります
またみてね!