~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~
~子ども時代・ママとして・
妻として乗り越えた困難~
5歳の頃
[いつも寝ている母と、母から離れない私」
働かない父に代わって、母が夜のお仕事で生活費の稼いでいた
それを理解するのはだいぶ先の事で、幼い私には自分の置かれている環境が『普通ではない』と気づいていなかった
子どもの頃の母は、いつも寝ていた印象が強い
昔ながらの古いアパート(6畳間+8畳間+台所+浴槽がないお風呂とトイレ一体型)に住んでいた
6畳間にテレビとこたつがあり、母はいつも、こたつに横たわって寝ているか、テレビを見ていた
シンクの食器はいつも山盛りだし、部屋は散らかって汚いし、子どもながらに「グータラな母」
だと思っていた
『どうしていつも寝てるんだろう?』
『どうしてサザエさんやちびまる子ちゃんの家庭のように、家事をしないんだろう?』
と不思議だった
ある時、私はその疑問を母になげかけ、母の置かれている状況が少し垣間見えた
母「今、お父ちゃんが寝てるでしょ。食器洗うと起きちゃうから後で洗うんだよ」
父は起きている間中、部屋に引きこもってお酒を飲み続けるので、少しでも寝る時間を長くし、お酒を飲む量を減らそうとしていたのだ
それから母を観察すると、扉の向こうにいる父の動きを息を潜めながら察知し、様子を伺っている事が分かった
父が起きると、母も動き出し食器洗いなど家事をし始める
父の様子次第でしか 家事が進まないので、常に家庭環境は整っていなかった
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基本、「父のお世話」に専念している母だったので、子ども達の事は二の次だった
けれども、怒ったりする事なく優しい母だったので、私は母の事が子どもの頃から今もずっと 大好きである
近くのスーパーや用事など、どこに行くにも私は母について回り、近所の人も「いつも一緒だね」とよく言われた
母について歩く中で、子どもながらに違和感があった場所を1箇所だけ覚えている
バスと徒歩を合わせて片道1時間くらいかけ、沖縄の観光地である「国際通り」まで行った
お土産品店など商店が立ち並ぶ中で、隙間にあるビルの薄暗い階段を登る
個室に入り母は何か機会を操作している。私はそこにあった 透明の小さな冷蔵庫のヤクルトが飲めるのが嬉しかった
母はよく私に「ヤクルト飲める場所に行こう」と声をかけた
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それから数年後、母の借金が発覚し、社会人となった私と次女の姉は『お金の壁』にぶつかるが、それはまた後日
私が子どもの頃よく行っていた「ヤクルトが飲める場所」が、消費者金融だったと大人になって理解する
母の夜の稼ぎだけで、生活費の他、父の〈酒・タバコ・ゲーム・マンガ〉をまかなえなかったのだろう
ー 子どもよりも、夫
ー 食事よりも、酒
…を優先してきた母を理解する事はできないが、さまざまな児童虐待ニュースを見ては『子ども達を見捨てる事はなかった』ことが 我が家の救いだな、と思っている
私が 道をそれることなく大人になれたのは、やはり母の愛情があったからだろうし
私が今 3人の子の母として ロールモデルとなっているのは、この実の母である
母がグータラでも日々を楽しく過ごしていれば子ども達も安定するし
立派な食事や お金をかけた教育をしなくても、自分のやりたい事を認めてあげれば 生きる力を身につけていくだろう
私の子育ての答えは出ていないけど、今のところ3人とも良い子に育っていると自負している
ママ達がもっと
「楽しく、ラクに」育児できる環境をつくるのも活動目的の一つである
〜ママが笑っていれば
子ども達もしあわせ〜
もっとみんなで子ども達の成長を楽しみたいね
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では次回は
6歳の頃
[カーテンに火、子ども服を燃やされる]
のことをつづります
またみてね!
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このブログは、私 小林が2020年10月から「子どもの居場所」活動を始める至った経緯を綴ります
発信する目的は、多くの人に私の活動を知っていただき、子ども支援の輪を広げる事です
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