私が『子どもの居場所』を作る理由 #8

~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~

~子ども時代・ママとして・
     妻として乗り越えた困難~

■小学2年生の頃
[シラミで涙]

私の母は、酒乱の父のお世話に専念していたため、子どものお世話は後回しであった

朝ごはんはないのがあたりまえだったし

朝起きたら着替えることすら知らなかった

基本的な生活習慣が身についていないまま、小学校に進級していた

いつから、自分でお風呂に入れるようになったのかは覚えおらず

母とお風呂に入った記憶もかすかにしかないので、おそらく毎日は入っていなかったのだろう

私は シラミの常習だった

内向的だった性格も少しずつ成長をし、友達ができて 学校生活を楽しめるようになってきていた

しかし、楽しみにしていたプールの授業に、シラミのため参加ができなかった

母に シラミ取り用シャンプーをしてもらい、卵を取ってもらったりと できる限りの努力をした

次は参加できるだろうと期待を胸に膨らませ、保健室で先生に髪の毛をチェックをしてもらう

シラミの卵がまだ残っていると指摘され、プールバックを胸に抱き締め 泣きながら保健室を後にする

母に駆除をお願いするが、私に専念してくれる時間はごくわずかで、自分でひたすらクシを通しながら プールに入れる日を願っていた

そしてまた、保健室で絶望し涙しては、使われないままのプールバックを持ち帰る

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シラミで何度 涙しただろうか

これも 自分だけでは解決できない問題であった

家庭でも余力がなく 対応できない状況にあったり

学校も指導をするだけで介入ができない

子どもが困難のフチに立たされ続ける

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さまざまな困難に対して
保護者を責める事なく
第三者の私に出来る事を模索してく

今の私なら

『シャンプーの仕方を教える』

『シラミ駆除を手伝う』

『家の掃除を手伝う』

『専門の美容室に同行する』

くらいなら できるんじゃないかな

どうか 子どもたちが1人で悩む事がないように

保護者が責められる事がないように

SOSが言える 地域のおばちゃんになれるように、少しずつ信頼と実績を重ねていこう

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では次回は
■小学3年生の頃
[学用品がなくて保健室へ逃げる]
のことをつづります

またみてね!

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このブログは、私 小林が2020年10月から「子どもの居場所」活動を始める至った経緯を綴ります

発信する目的は、多くの人に 私自身の事と活動を知っていただき、子ども支援の輪を広げる事です

今は「子ども」に特定していますが、今関わっている子ども達が大人になっても「自分の居場所」として帰る場所の一つになるように

また、支援者の仲間たちが集い、子ども達の成長を見守る拠点の一つになれるように、実績を重ねながら対象の幅を広げていきます

当活動を通して、子ども支援に関心を持っていただけないでしょうか

企業や個人の皆様からの支援を広く求めております。子ども達が安心して過ごせる、第三の居場所づくりの応援をよろしくお願いいたします