~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~
~子ども時代・ママとして・
妻として乗り越えた困難~
■小学1年生の頃②
[朝ごはんはないのがあたりまえ]
仕事にいかず、朝から晩までお酒を飲む父に代わって、母は 夜のお仕事に出ていた
母もお仕事でお酒を飲み 夜中に帰ってくるので、朝はいつも寝ていた
なので私の家は、朝ごはんがないのはあたりまえだった
かといって、食事がなくて困っていたわけでも、ひもじい思いをしていたわけでもない
もともと 食が細かったし、振り返るとお菓子でお腹を満たしていたような気がする
私の記憶に『母の料理』は残っていない。覚えているのは父の好物の食事やおつまみが並ぶ食卓だ
朝ごはんを食べない習慣は、18歳の公務員試験前まで続いた
「朝から脳を活性化させるためには、みそ汁を飲むと良い」と教えてもらってからだ
1日3食食べるようになったのは、長男を妊娠した26歳からである
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現在、私は3人の子の母親をしているが、料理は一切つくらない
調理などの台所仕事は全て 母に任せている
結婚前に知人に料理を教えてもらったり、結婚を機に横浜に住んでいた頃は、本を見ていろんな料理にチャレンジしていた事もある
しかし、沖縄に出戻って母の近くに住むようになってからは、一切の料理をしなくなった
もともと、食に対する欲が薄く、ずっと『ドラゴンボールの仙豆で生きていけたらいいのに』と本気で思っていた
食に対する欲の薄い自分に違和感があり、料理を作る事が好きな人に「どういうところが喜びなの?」などとよく聞いていたが、自分に取り込む事はできなかった
いろんな人に話しを聞く中で、答えが見つかった
その方も育った家庭は厳しい環境にあったが、お母さんの作った料理を褒めていたり、おじいちゃんに教えてもらった調理の記憶など、どれもポジティブな思い出でいっぱいだった
「そっか…、私は子ども時代の食事の記憶がほとんどないから、食に興味がないんだ」と気づく
けして悲観的な事ではなく、自分のルーツを理解する事ができ、料理をする事を一切諦める事ができた
料理をしない事に「母親失格だ」的な言葉を言われる事もあったが、笑って聞き流す事ができる
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子ども時代、朝ごはんがない家庭に育った私だが、当時から今までその事で困った記憶はない
子どもの世界はとても小さいので「親が朝寝てて起きない」ことや「朝ごはんがない」ことが社会一般的に〈普通〉でなくても、その子にとってはこれが〈あたりまえ〉なので、《困り事》としてその子自身が認識していない事がある
だから大人たちの〈普通〉を当てはめて、「朝ごはんが食べられなくて可哀想」などと、一方的に押しつけないでほしいと願う
居場所活動をする中で、準備中のお昼を過ぎた時間に
「今日はまだ何も食べていない」と教えてくれる子がいれば
「それじゃーお米炊けてるから先に食べる?」とか
「まだご飯ないんだけど、このお菓子余ってるから食べる?」
「昼ごはん食べた?おにぎりあるよ、食べる?」と
淡々と私に出来ることで関わっていく
この小さな関わりの積み重ねが、子ども達との信頼関係に繋がり、いろんな事を話してくれるようになってきたと感じる
この子達が困った時に
「そうだ、あの人に話してみよう」
と思い出してもらえる人になる事が 私の目標の一つである
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では次回は
■小学1年生の頃③
[毎日同じ服でバカにされる]
のことをつづります
またみてね!
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このブログは、私 小林が2020年10月から「子どもの居場所」活動を始める至った経緯を綴ります
発信する目的は、多くの人に私の活動を知っていただき、子ども支援の輪を広げる事です
今は「子ども」に特定していますが、今関わっている子ども達が大人になっても「自分の居場所」として帰る場所の一つになるように
また、支援者の仲間たちが集い、子ども達の成長を見守る拠点の一つになれるように、実績を重ねながら対象の幅を広げていきます
当活動を通して、子ども支援に関心を持っていただけないでしょうか
企業や個人の皆様からの支援を広く求めております。子ども達が安心して過ごせる、第三の居場所づくりの応援をよろしくお願いいたします