私が『子どもの居場所』を作る理由 #11

~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~

~子ども時代・ママとして・
     妻として乗り越えた困難~

■小学5年生の頃
[ぐちゃぐちゃな弁当]

私が子どもの頃の母は、働かない父に代わって 夜のお仕事に出ていたため、朝はいつも寝ていた

遠足や運動会など、前もって予定が分かっている弁当づくりは、前日から下準備をして美味しい弁当を用意くれていたが、一度だけ弁当の苦い思い出がある

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その日は課外活動があったため、学校に弁当を持って行かなきゃならなかった

遠足以外で弁当持参の日はほとんどなかったので、私は深く考える事もなく事前に母に伝えるだけだった

その日の朝も母はいつもどおり寝ていた

私は慌てて母を起こす
「弁当つくって!」と

恐らく昨夜は深酒したのだろう、母はなかなか起きてくれなかった

弁当がないと学校に行けないので、私は必死に母をゆすり起こす

長らく格闘が続いたあと、母はやっとで起きフラフラしながら台所に立った

なんとか弁当を作ってもらい、私は学校に行くことができた

お昼の時間、友達と一緒に向かい合って弁当を開く

衝撃すぎて固まってしまった

弁当をひっくり返してまた詰め直したのかと思うくらい、ぐちゃぐちゃな弁当であったのだ

まさかこんな事になっているなんて想像もしていなかったので、その弁当の中身を友達に見られてしまった

「自分で作ったの?」

と、友達に不思議そうな顔で言われた

苦し紛れに
「うん、そうなの、失敗しちゃった」と答える私

「母が作った」なんて口が裂けても言えなかった

みじめだった…

みんなが自分の弁当を嬉しそうに食べているその空間に、私だけ固まって時が止まってしまったような感覚であった

『あぁ〜…なんでこんな事になったんだろう』

『私はどうすればよかったんだろう』

と、自分で弁当を作れない事を責めた

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弁当の苦い思い出を胸に、私は母になり我が子の弁当作りでリベンジをはかる

当時流行っていた、キャラ弁の本を買い、長男くんの弁当作りに努力するも、夫の心無い言葉に打ちのめされる、がこの話しはまた後日

台所仕事を放棄した私だが、遠足などの我が子の弁当は私が用意している

今は便利な冷凍食品などがいろいほあってほんと助かる

『弁当を作る』というより『弁当に詰める』が正しいのかもしれない

どこで手を抜き、どの時間を大事にするか メリハリに意識を置く

自分のズボラさを隠さず周りに公言している。子ども達の食事の事を忘れる事も多く「ネグレクト、ギリ」と親としてのレベルの低さに震えることも多々

母や姉、長男にフォローしてもらいながら 家庭が成り立っている

「こんなズボラな人でも母親になれるんだ」と私の事を反面教師にして、みんなが自分の子育てに自信を持って楽しめるようになってほしいと願う

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では次回は

■小学5年生の頃②
[父に家を閉め出される]

のことをつづります

またみてね!

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このブログは、私 小林が2020年10月から「子どもの居場所」活動を始める至った経緯を綴ります

発信する目的は、多くの人に 私自身の事と活動を知っていただき、子ども支援の輪を広げる事です

今は「子ども」に特定していますが、今関わっている子ども達が大人になっても「自分の居場所」として帰る場所の一つになるように

また、支援者の仲間たちが集い、子ども達の成長を見守る拠点の一つになれるように、実績を重ねながら対象の幅を広げていきます

当活動を通して、子ども支援に関心を持っていただけないでしょうか

企業や個人の皆様からの支援を広く求めております。子ども達が安心して過ごせる、第三の居場所づくりの応援をよろしくお願いいたします