~子ども時代・ママとして・妻として乗り越えた困難~
~子ども時代・ママとして・
妻として乗り越えた困難~
■中学生1年生の頃
[恐怖のドライブ]
我が家は 母が父のお世話に専念していたため、良くも悪くも『放任主義』であった
中学校に入学した当初は、目立つグループの輪に入り、空き部屋で白い煙をモクモクさせていたこともあったけど、ある日突然 私と友人の2人が、そのグループを追い出されてしまった
何かしでかしたのだろうが、理由は不明であった
それからも不規則な生活を送っていたので、定時に学校に行けない日が多かった
2時間目か3時間目の休み時間を狙って、登校する事に慣れていた
学校まで続く一本道の商店街をいつも通り1人で歩く
学校はもう始まっているので、他に制服を着て歩いている子は誰もいなかった
道の先に中学校のグランドが見えるくらいの場所を歩いているとタクシー運転手が窓越しに話しかけてきた
「今から学校に行くの?」
「はい、そうです」
「タクシーで送ってあげようか?」
「いえ、もう学校はすぐそこなので大丈夫です」
「乗せていってあげるよ、乗って〜」と開く扉
私はそのタクシーのおじちゃんを不思議に思いながらも「それじゃ」と言って乗り込む
ほんと100〜200メートルの距離をタクシーで進む、窓越しにグランドを見るとクラスの子達が体育の授業をしているのが見えた
「あぁ〜まだ授業してる」の言葉におじちゃんは
「それじゃーちょっとドライブして時間つぶそうか」
と提案され、同意した
優しそうな雰囲気に、気さくな話し口調のおじちゃんへの抵抗感はまったくなかった
会話が弾む中、中学生の私に土地勘はなく、まったく知らない道を進み、車はどんどん山奥に入っていった
ひと気も車もなく、車一台だけが通れるような山道をグングン進む
さすがに私も「ヤバい」と思った
緊張を隠しながらも頭の中は
「私 山の中で捨てられるか、殺されるかもしれない」
と妄想が膨らんでいった
どこで逃げるかと様子を伺う
ある場所で車は停まり、おじちゃんはそのままの優しい口調で、そこから見える景色を私に教え、そのまま市街地で戻っていった
殺されなかったと安堵した
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おじちゃんは自分の家の場所を車の中から教えてくれた
「娘が結婚して家を出たから、1人暮らしなんだ」
「暇な時はいつでも遊びにおいで」
「口紅とかつけないの?買ってあげようか」
はっきりは覚えていないけれど、1時間くらいドライブをしたあと、最後はちゃんと学校まで送ってくれた
「殺されるかも」と思ったのは私の勘違いで、普通に良いおじちゃんだったな、とほっとして学校へ入る
世の中の危険な事や、人を疑う事を理解していなかった私は、その日の事をサラッと母に「こんな良いおじちゃんいたよー」的なニュアンスで話した
普段は温厚な母がめずらしく怒った顔をして「世の中危ない人がたくさんいるから、知らない人についていかない!」と注意された
小学生レベルの基本的な危機管理だとは思うが、母の反応を『危険な事だったんだな』と気付かされる
ほんと低レベルすぎて恥ずかしいが、当時の私にはその危険さがまったく理解できていなかった
(今の子達の方がずっと賢いとは思うが、中学生でもこんな無知なあんぽんたんがいるのだと参考にしてほしい)
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それからも私は、自分の無知さゆえにさまざまな危機に直面しながら成長してきた
幸い、どのトラブルもギリギリのところで回避する事ができたので、道をそれることなく、心を壊すことなく、今日を迎える事ができている
おかげ、日常から少しそれるだけで危険が増えるという事を経験をもって理解する事ができた
子ども達が外からの危険に巻き込まれないように、日々地域の子ども達と関わりながら信頼関係を築いていこう
このブログは、いずれ私の3人の子達が読むことも意識して綴っているので、事実に基づきながらもディープな内容は慎んでいるので安心して読んでください
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では次回は
■中学生2年生の頃
[マネジャー業で平穏]
のことをつづります
またみてね!